【ガン闘病記録】キャンサージャーニー(Cancer journey)とは?

まさ
まさ

「キャンサージャーニー(Cancer journey)」

って知ってる!?

こんにちわ、まさとです。

 

今回は【終わりの始まり Vol.12】

テーマは『キャンサージャーニー(Cancar journey)』についてです。

 

『キャンサージャーニー(Cancar journey)』という言葉を知っている人はどれくらいいるのでしょうか?

 

「いやー、ぼくは全く知りませんでした・・・」

 

きっとこの記事にたどり着いたあなたも、

「知らなかった!」からこの記事を見つけたんですよね(笑)

ぜひ一緒に学んでいきましょう!

キャンサージャーニー(Cancer journey)とは?

まずグーグル検索をしてみると、英語ばかりの情報が表示されます。

 

「えっと・・・」

「おい・・・おい・・・」

「んー・・・英語、読解できません・・・」

 

まだまだ、日本では認知としては低い言葉だという事だけは分かりました!(笑)

 

最終的に父親のメールが一番わかりやすかったので(笑)

今回のメール内容とともに紹介しますね。

Cancer journeyって言葉を初めて知りました。イギリスが発祥の言葉で、イギリスではガンに関する公式文書では、Battle against cancerではなくCancer journeyという表現が使われるようになっているそうです。

私流に翻訳すれば、Battle against cancerは「ガンと闘う」、Cancer journeyは「ガンと旅する」でしょうか。

どうしてそうなったのか知りたくて、ネットで検索したのですが、出てくるのは英文ばかり、とても読む気になりませんでした。
それでも多少調べてわかったのは、「闘い」は勝つか負けるかで、負けた場合は敗北感や挫折感を生むので、ガン療養生活を送っている患者に使うのを避けたかったからじゃないかということです。
「旅」で相当するのは、「始まり」と「終わり」ですから、Cancer journeyは、ガンとその療養生活を比較的クールに受け止めている感じがします。
「闘病」という言葉を使うとき、ガンを治療して治すことに主眼があり、初期ガンやステージが低いガン患者にとっては、この言葉はポジティブな意味合いを持つと思います。
一方、5年、10年と体にガンを抱えたまま療養生活を送っているケースでは、「ガンと生きる」もしっくりします。
しかし、日本人の3人に1人がガンで亡くなっているのも現実で、治らないガンを抱えている患者も多くいます。
ですから、私は「闘病」という言葉がしっくりきませんし、「ガンと生きる」もいまいちピンときません。そ
こで「ガンを生きる」としたのですが、どちらかといえば、私の受け止めは、Cancer journeyに近い感じがします。
私を含めてですが、余命何ヶ月といった宣告も受けた重いガン患者は、一方で死と向き合いながら、一方で治療を続けているわけです。
医者自身が言うように、「ガン治療はつまるところ延命治療」です。もちろん、彼らの中にも「わずかでも治せる
可能性があるなら、あらゆる治療法を試したい」と入退院を繰り返しながらも、闘病にファイトを燃やす人がいることも承知していますし、それもまた選択です。
私だって30代〜50代という若い年代であり、まして小さい子供を抱えていたとしたら、たぶんそうしただろうと思いますね。
Cancer journeyっていい言葉ですね。Battle against cancerのように身構えずに済みますから。
息子のブログでは、「父親のガン闘病記」となっていますが、今の私にとって生活の主眼は、ガンとの闘いにはなく、限られた命をどう生きるかにあるので、「ガンを生きる」ということは、やはり「ガンを旅している」んですね。
旅にも終わりはあるけれど、それまでの1日1日を精一杯生きてやろうぜって。そんな今の私は、1日1日が限りな
く愛おしく感じられます。
 
「Cancer journey」いい翻訳があったら教えてください。

本人たちしかわからない感覚?

父親のメールの内容にもありますが

ぼくはこのブログでは、「父親のガン闘病記録」としています。

 

それはなぜか?

理由は明確です!

 

「闘病」という言葉の方が、今現時点では世間的に認知されているからです。

認知されている=キーワードとして調べる人が多い

一人でも多くの人に「両親の声」と「ぼくの声」を届けるためには

「闘病」という言葉を使う方が、現時点ではいいのではないかと考えているからです。

これは時代によって、変わるかもしれませんけどね!

 

そのひとつが

Cancer journey=「ガンと旅する」

という言葉かもしれません。

 

ガン当事者の父親としては

「闘病」という、苦しみのイメージが強いものではなく

「ともに旅をする」という、明るいニュアンスのこもった言葉方がしっくりくるんだと思います。

 

これは息子(家族)であるぼくも同感です。

父親のガンと向き合うなかで

父親・母親とあらためて向き合う機会が増えました。

 

かっこよく言えば、『家族と再会する旅』をしているような感覚に近いです。

・両親のことを、ほとんど知らない自分がいたことを発見した。

・両親の仲間たちと接点を持つ機会が生まれた。

・両親自身のことを一歩深く知ることができはじめた。

まさに、知らない場所で知らない人やモノに出会う「旅」のような感覚です。

もしかすると、「ガン」と向き合っている本人や家族でしか感じることのできない感覚かもしれません。

 

「あなたたちは、運よく効果のある治療に出会えたから、そんなことを言っていられるのよっ!!」

と感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。

 

それでもひとつだけ、お伝えしておきたい部分があります。

ガンは確かに

・「人の命を奪います」

・「恐ろしくないと言えば、うそになります」

・「出来れば患いたくはない病であることも事実です」

でも、悪い事ばかりではありません。

これはガンを患った父親本人が言っていますし、家族のぼくもそう思います。

(ブログでも何度も取り上げていますので、見てみてくださいね。)

 

 

苦しい経験かもしれません。

それでも「ガンと闘う」ではなく

「ガンと旅をする」という価値観をひとつ持てたとしたら

ガンを患っている本人も、そして家族も

何か見える景色が変わるような気がします。

現に、父親もぼく自身も。もちろん母親も。

「ガン」というモノと向き合いながら、新しい景色を見ていますから。

Cancer journey=「ガンと旅する」

もっと広がって欲しい言葉ですね!

(※Cancer journey=「ガンと旅する」は正式な訳ではないので、ご了承ください。)

 

以上、【ガン闘病記録】キャンサージャーニー(Cancer journey)とは?

でした!

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