ガン治療『分子標的薬治療』で1週間の入院で見えてきたモノは何か?

ガン治療『分子標的薬治療』、1週間の入院で見えてきたモノは何か?

こんにちわ、まさとです。

【終わりの始まりVol.3】

父親のガン闘病が始まり大きな一つの動きがありました。

それは『分子標的薬治療』という治療のため一週間の入院で治療を行っていることです。

 

今回は、入院中に送られてきた父親からのメールを紹介しながら

リアルな感情をお伝えしておきます。

1週間分なので少し長くなりますが目を通してみてください。

 

肺ガン治療の中で、『分子標的薬治療』という選択肢があるという事を知っておいてもらえればと思います。

 

分子標的薬とは

分子標的薬治療とは

特定のガン分子にだけ直接作用するように薬を投与し、がん細胞の増殖を抑えるための治療であり「個別治療」ともよばれているものです。(効果・副作用は個人差がある)

 

詳しくは以下のサイトを参考にしてください。

 

 

入院初日

入院初日のメール内容です。

朝からなにも食べず、検査、検査。午後も造影剤をいれた肝臓やら心電図などの検査。体力は消耗しまくり。

 入院病棟ではちょっとした揉め事。というのも、家族の面会時間が週一日、午後2〜5時までの一回のみと制限されていることに関係して、問題は、毎日大量の発汗でよるだけでも4〜5回の下着の交換が必要
な私にとってはこれは大問題。
一週間分の下着など、下着最低12✖️7日、バスタオルも同程度必要なのに、「面会はなくてもいいですから、下着だけでもとどけられませんか」と陽子さんも食い下がるが、「コロナ下で例外は認められません」の一点張り。
ずぶ濡れの下着のまま寝ろというのか」と切れそうになりました。いえ、半分は切れていましたがね。ここは陽子さんが、杏林に入っているパジャマなど交換の業者と下着類などのクリーニングの交渉をして、なんとか事なきを得ましたが、こんな時は陽子さんは機転がききます。
 しかし、私のイライラはおさまらず、看護士が回診で「痛みを1から10段階に分けると、いまどのくらいですか。
10が痛いほうです」と聞かれ、「あのう基準がわかりませんね。1は痛みがない事ですか、5はどの程度の痛みですか、それがわからないと答えようがないじゃないですか」と尋ねました。
 初めての質問なのか、彼女らしどろもどろ。「じゃ、私は私の基準で答えますね」「薬がなくてもなんとか我慢できる状態を5として、疼痛が少しずつまし薬を飲んだ方がいい状態が6、疼痛がひどくなり少しでも早く薬を飲んだ方がいい状態が7、疼痛が限界にと近づき、強い痛み止め処置が至急必要な段階が9でどうですか。それによると、今に私は6です」と答えました。
「それ、困ります」と看護士はオロオロ。いつもオウム返しのように、「痛みを1から10段階に分け
ると、いまどのくらいですか。」と看護師も医者も聞くのですが、こんな基準のないいい加減な質問に患者が答えられると思っているのでしょうか。
 そこそこ、同調性の強い日本人の患者は「5ぐらいです」と答え(5がどの程度か知らず)て、医者は「そうですか。わかりました」とうなづく。
 これって変だと思わない?なんの医療処置にも繋がらないようなこんな質問になんの意味があるの?
いまもこの文を書きながら、腹が立ってきました。
さらにこの日はもう一通届きました。

今、四人部屋にいます。同室の他の三人も肺がんです。そして、癌治療の最前線です。

 窓側の一人は苦しそうに咳をし続けています。それなのに、アーモンドチョコ、ポテトチップを買ってきてと、担当者に頼んでいます。食欲はあるんでしょうね。
 もう一人、手術待ちのようですが、実に静かでいるのかどうかもわからない感じの人。医者の出入りが多いので、もしかしたら、今日が手術かもしれません。
 窓側のもう一人は、私の隣なのですが、今日は抗がん剤の点滴がないので、昨日よりはらくそうですが、あまりおもわしくないようです。といっても、私よりもステージは低いんじゃないかな。多分3で、脳への転移の有無も、今回検査する(ー私もしましたがー)そうです。
 聞くもなく看護師との会話を聞いていましたが、
 「この前の手術は成功したと聞いたけど、どうしてこういうことになるのかなぁ。わからんよ」
 「手術した箇所の周りに癌が広がっているらしく、抗がん剤治療をすると聞いています。右肺に少し水もたまっているようです。
 「抗がん剤の点滴は時間がどのくらいかかるの」(多分初めてなんでしょう)
 「液が濃いので、落ちるのに時間がかかるから、だいぶかかると思ういます。」
といった会話があっのがお昼前。
 その後、何度か看護師と話をしていましたが、
 「もう少しで抗がん剤の点滴は終わるからね。頑張って。抗がん剤が終わったら、吐き気を止める点滴、たんを止める点滴、それと???(聞き漏らし)の点滴だけだから、もう少しよ。頑張って」
などのやりとりをしていましたが、点滴が終わったのは7時半。
 いやぁ、大変な治療だなと、「ハアハア」」という隣人の声が耳に残ります。こちらの方が苦しくなりました。抗がん剤治療というのは辛い治療ですね。
 ここは癌治療の最前線なので、明るいニュースはありません。この記事はアップをやめようかと思ったのですが、現場の生のレポートとして読んでください。
 そうそう私の治療は、分子標的薬治療の副作用が出るとしたら、今夜あたりからとのこと。何もないこと祈っていてくださいね。

初日の様子を見て

基本的に、細かい事をあまり気にしない父親の性格と、

周りに心配をかけないようにふるまう父親の姿をを知っているだけに

さすがに入院初日は動揺しているんだな・・・というのをメールの内容から感じました。

 

でも、普通は動揺しますよね。

自分が肺ガンであることを知り、ステージ4の末期と知り、残りの余命も少ないことを知った状態で

自分の理解に及ばない治療が始まる。

体験したことのない恐怖感というのがあって当然だと思います。

 

分子標的薬治療にも副作用はあるため、「死」への恐れではなく

『未知の苦しみへの恐れ』の方が強いのではないかと想像してしまいます。

 

母親も、荷物を運んだり病院側と交渉したりとバタバタ。

ただでさえ心配症の母親です。

今回の入院中は、気が気ではない状態ですね。

 

入院二日目

 

この日はメールなし。

 

二日目の感想

さすがに連絡(メール)がないことに

わたし自身も、とても心配になりました。

 

・状態が悪化したのでは?

・副作用がきつすぎて、メールを打つ余裕がないのではないか?

マイナスな感情がよぎってしまうものです。

 

初日のメールの中にもあるように、コロナウイルスの影響で面会をすることがほぼ出来ません。

病院内で何が起きているのか。父親の状態はどうなのか。

これを知るすべは皆無に等しいわけですから・・・。

 

ただ、わたし以上に母親は心配しているであろうと思っていたのですが

次の日に話を聞いたところ、案の定きちんと眠れなかったようです。

 

ガン治療は、本人はもちろんですが

家族の精神的な疲れも大きいものだというのを再確認した日でした。

 

入院3日目

この日はメールが届き、ひと安心。

今の所、めだった副作用もなく、治療は順調、ただ一つ便秘を除いて。
初日の体重測定で66.4(激やせ)が気になり、食べなjくちゃ、食べなくちゃと、無理やり胃に食べ物を投げ込んだのが原因の一つであることは間違い無いと思う。今朝の体重は67.0ぐらいかな。
ここに来てから、1日三回ほど、長い廊下を3往復するトレーニングをはじめました。今朝は、入院時に比べると、息切れの度合いも低く、体も軽い気がします。
今日レントゲンがあって、胸水の状況などもわかるので、わずかであっても良い兆候があることを祈っています。
分子標的薬は間違いなくガンが増えるのを抑える効果があると言うのですが、効果の出方は患者によって千差万別。退院後も飲み続けることになります。
わかりやすく言うと、経口抗がん剤のようなもので、通常は抗がん剤と併用して用いられるものだそうです。
入院していると一人で考える時間が多くなります。今一番考えているのは、退院後の生活の仕方で、できるだけベッドに横にならず、トレーニングも続け、1日をどう充実させるかと言う課題ですね。考えてみれば、「死」と言うのは、誰にとってもすぐそこにあるもの、若い頃はともかく、70を過ぎれば誰でも頭の片隅で考えていることだと思います。
「死」はすぐそこにある。この事実と向き合いながら、今をどう生きているかということが大切な
んでしょうね。
  レントゲンのお迎えの時間がきました。
「あ、あ、あ。ちょっと待って出そう……(トイレ)やった!便秘解消!なんて
幸せだ。」

ひと安心の三日目

とにもかくにも、父親からのメールが届いたことにひと安心。

いやー、人からの連絡をこれだけ待ち望む体験なんて久しぶりです。

 

メールの内容を見て、冗談も交えながらの内容で

副作用がまだ出ていないことにさらにひと安心です。

 

分子標的薬治療に関して、父親自身で調べている様子が見られるので

「かなり詳しくなっているんじゃないかな??」なんて思いながらメールを読みました。

 

ここで一つ気付いたことがあります。

「人は何に恐怖を覚えるのか?」

 

『人は自分が知らない未知のモノに恐怖を覚える。』

これが結論です。

 

今回で言うと

・ガンというモノ自体が未知

・ガン治療という行為が未知

・それを支えるという経験も未知

・投薬される薬も未知

・いつまで生きる事が出来るのかも未知

要するに『未知』なことが多すぎる!

誰だって恐怖を抱きますよ。

 

そして、父親と母親の姿をみていると

自分の置かれた状態を認識し、未知のモノに対して学ぼうとしている。

少しずつだと思いますが、未知の部分が減っていくほどに精神的な安定を取り戻すのでは?

と思いながらわたし自身も勉強を始めました。

 

「恐れていても何も始まらない!!少しでも未知の部分を減らすための努力!」

これが大切なんだと気づかされました。

 

母親の状況も気になっていたので、この日は母親と昼食をとりました。

母親も勉強熱心です。

父親を心配して寝れないのかと思えば、肺ガンと『分子標的薬治療』に関して本を読んでいて寝れなかったと・・・。つくづくすごい母親です。

 

入院4日目

 

今日で入院四日目、特に副作用らしきものはなく、あえて言えば便秘。
これは医療用麻薬の副作用でもあり、一緒に便通をよくする薬も飲んでいるのだけれど、それでもダメな時がある。
 レントゲン検査の11日と15日を比較したところ、「変化は見られなかった」とのこと、果たして 胸水の増え方が少なくなったのか、止まったかは、たぶん月曜日のレントゲン検査でわかると思います。
痛みのことだけど、少し和らいできた気がしないでもない。模擬腕肩肩にかけての痛みがかなり薄らいでいる。
 昨夜は3回着替えたけれど、汗は少量で、今日の昼間はほとんど汗をかいていません。個人的には分子標的薬の効果はあると感じています。今程度の副作用ー現状はほとんどないーで、痛みを和らげる、胸水の発生を抑える効果があるなら、この治療を続けることになります。
 陽子さんからこんなメールがきました。
いまの治療は抗ガン剤だと思うので、副作用が出たらストップね。
際限なく治療に追われるのではなく、残された時間を大切に一緒に
歩みたいと思っているのです。癌と平和共存出来たらいいけど。
痛みのコントロールどうですか?今日は真人がかけてくれたので
1日拓朗を聴いていたよ。体調のいい時にイヤホンで聴いてみたら?
ハーモニカの曲でもいいね。
いまの治療は抗ガン剤だと思うので、
  確かにその一種ですね。ただ、この薬はガンの増殖を抑える効能はあるが、ガンそのものを治すわけではないので、癌を治すのはやはり自身の免疫力しかないわけです。
経口薬だという点が、抗がん剤より楽ですが。副作用問題はまだまだわかりません。一番怖いのは間質性肺疾患でしょう。退院後に生じる可能性は残っています。
副作用が出たらストップね。
際限なく治療に追われるのではなく、残された時間を大切に一緒に
歩みたいと思っているのです。
  医者の言いなりに治療を任せたら、際限なく治療に追われることになる恐れは高いと思います。患者に寄り添う治療ではなく、医者がやりたい治療に流れるんじゃ無いでしょうか。
隣のベッドの抗がん剤治療を受けている患者のように、「手術は成功したと言われたのに、どうしてこんなことになるんだ。わけがわからないよ」ということになります。
 手術したところから、またガンガ浸透しだしたわけですが、誰もその責任は取りません。仮にベッドの上で、検査と治療づけで一年間延命できたとして、それにどれほどの意味があるだろうか。
 私もこの薬で間質性肺炎はもちろんだが、予期しないような副作用が出てくるようなら、中止する。
その時は穏やかに、際限なく治療に追われるのではなく、残された時間を大切に一緒に歩みたいと、
も思っています。
 ただ、今は、いまの治療に専念します。その結果いかんで、緩和ケアの仕方も、薬の飲み方も変わってしまう可能性もあるからです。
痛みが和らぐかどうか、胸水の出方はどうなるのか、ここに一番注目しています。
たとへ短い時間でも、体調がよくなれば、釣りにも行きたいし、ハーモニカの練習も始めたいし、陽子さんと一緒に行こう行こうと言いながら実現しなかった温泉旅行に行きたいです。
そう重ながら治療を受けています。
 今日は入院四日目、これから廊下の散歩に行ってきます。夕方の抗生剤の点滴以外、何もありませんからのんびりです。

考えさせられる4日目

両親のお互いの愛情の深さが感じれるうれしい内容のメールであると同時に、とても考えさせられる内容だと思います。

ガンとの闘病生活を行う中で、必ず訪れる問題ですね。

 

『なんのために、ガン治療を受けて闘病生活をしているのか』

 

ガンの治療をしていくにあたって、副作用の影響はどうしても出てきます。

本人が意識朦朧(もうろう)として日常生活を送れない中で、本当にガン治療を続ける必要があるのか??

 

とくに、ステージ4末期(ガンがなくなる状態にはならない)。

 

ガンと共存しながら、いかに人生を有意義に過ごせるかが大切なところなのに

病院のベッドの上でガンとの闘病生活・・・それだけを過ごすのは、どうなのか。

 

これは、身近にガンの闘病生活をしている人が居ないと、なかなか理解できない部分かもしれませんが

 

『なんのために??』

これを常に問い続ける必要がありそうです。

 

わたしの場合、幸いなことに両親の意思は決まっています。

ただ、家族側がこれを決断しないといけない場合は、なかなか難しい問題なんだな…と思う出来事です。

 

ただ、唯一言えることは

「ガンの治療のために生きている」のではなく、「生きていくためのガンの治療」であって

生きることが主役です。

 

「最期までどう生きたいのか」

両親の姿を見ながら、とても考えさせられました。

 

入院5日目

改善されたと思うこと
 1  入院時の体重 66.4        14現在 67.9(朝食前)
   <食べ方のコツ>治療に耐える体力を維持するために
    : 胃に負担がかからないようペースト状になるまでよく噛む
    : 食道と胃の間で食べ物が目詰まりすることが多ので、胃にしっかり飲み込んで(お茶もいい)か
      ら、次に皿に移る。
    : 弱った胃にご飯は良くない。おかゆか、あるいはパンが良い
    : 食欲がないときは、明治メイバランス(ペースト状)200kcal は
      必要不可欠となる
 2 右腕から胸にかけての痛みが薄らいでいる。ただ、まだリールを
   投げるのは無理、置きざおならできそうだが、もちざおはきつい。
 
 3 一時より湿疹は良くなったが、まだ新しい湿疹ができている。
 4 血中酸性度は91〜97。興奮して話したり、体の動かし方で息切れ
   があり、そのときは大体92。嬉しいのは96、97が時折現れること。
   潰れていた右肺の肺胞が、少しずつ膨らんでいるのかも
 
 5 毎日廊下で歩行訓練をしているが、フフ(吐く)ハー(吸う)、フハー、
   息切れはするが、入院時に比べて、はるかに歩行が楽になっている。
 今日は医療用麻薬について、ちょっと。緩和ケアには欠かせないのが医療用麻薬ですが、使い方が難しい。痛みを取るだけなら、量を増やせばいいのですが、一日中眠気に苛まれ、意識朦朧、ほとんどベッドで横
になっているような使い方は、「生活の質」を確保する観点から言って最悪だろうと思います。
私は多少痛みはあっても、こうやってパソコンでメールが打てる、テレビが楽しめるという程度に使用量に抑えるようにしています。
痛みの緩和と「生活の質」の両立するところが適量なんだと思うわけです。
 誰もが副作用について触れないのがこの麻薬なのですが、胃腸に与えるダメージは大きいです。胃のもたれから始まって、ムカつき、じくじくときます。
 腸は何と言っても便秘です。患者に言わせると、この副作用は大変辛いことです。胃がもたれれば食欲ががたっと落ちますし、食道と胃の間に食べものがつまり、胃に落ちくれません。
 こうしてみるみる痩せていくわけです。食べ物を見るだけでムカつくようになるのです。便秘、これは説明の必要はないでしょう。まあ、これらは鎮痛剤一般に言えることなのですが、常用することになるので、この副作用からは逃れられません。
 私にとっては、この胃腸の苦しみはがんの苦しみと全く違いはありません。食べようと思っても食べられず、そして、日々体重が落ちていく自分を見るのが情けなくなります。
しかし、入院時66.4まで落ちていた体重を今日(日)の時点で67.5まで戻しました。これががんとの闘いだって、思うわけです。妥協すると、ズルズルと泥沼に沈みます。
 今日はレントゲン検査があります。治療の効果があったのかどうか、わかります。

状態の良い5日目

これだけの長文メールを打てているので、今のところは順調そうです。

つくづく思うのは、父親が『未来に託す仕事』が出来ていることが、今のエネルギーの源になっているという事。

 

自分の人生の最期が見えた状態で

・絶望する人もいるでしょう。

・なんで自分が・・・という感情に打ちひしがれてしまう人もいるでしょう。

・「あの時こうしていれば・・・」と後悔に駆られる人もいるでしょう。

 

その中で、自分の『死』を受け止め

今できる自分の最期の仕事は、次の世代に向けて、未来に向けて、自分の経験が役に立ってほしいという意思を持ち行動に移していること。

 

息子のわたしからしても、誇らしい限りです。

その意思があって、わたし自身もこの記事を書いているわけですからね!

入院6日目

度目のレントゲン検査の結果がでました。
「レントゲンの結果、胸水の増加は見られなかった」「ただし胸水の増加が止まったとは言えない今後の経過観察が必要」「がんの増殖が止まったかどうかなど、今後の検査結果見る必要がある」
 分子標的薬の効果はあったと思います。ひとまず成功と言って良いと思います。
今日血液検査をして、特に問題がなければ、明日退院となります。
 杏林にちょっとだけ改革の風を吹かせたかもしれません。
私が「患者からの提案<あなたの痛みは1〜10のどれ>に関して 」という提案書を提出し、このように改
善したらどうですかと具体的に書いたものを手渡しました。
色々反響があったようで、コピーされて回し読みにされていたようです。お昼過ぎに看護士長だっけ?責任者の方が病室に来て、「お身体が大変なおり、このような提案書をお書きくださり、ありがとうございました」とおっしゃり、この「1〜10のどれ」は全国共通だったと知りました。
そして「どうすれば良いと思うか」と聞かれ、お互いに20分近く意見交換をしました。おかしかったのは、イラストで顔の痛みを描いたものもあって、「あなたと痛みはどれですか」とさしてもらうのもあったようです。
看護師さんの多くも「基準がわかりにくい」と感じていた方が多く、私の意見に賛同してくださっていた方も居たので、今後なんらかの改善がなされるかもしれませんよ。

エネルギーを感じる6日目

最後の看護婦長さんとの会話はうれしい限りですね!

実際の声を聴き、さらに良い方向へ改善されていく。

 

「転んでも、ただでは起きない」とはこの事でしょう。

父親が入院中に、変化を起こそうと動いている様子を垣間見れたのがうれしく思います。

 

あきらめるのは簡単です。

 

変化を起こすには、莫大なエネルギーが必要です。

そのエネルギーを今の父親は持っているという事が証明された気がしました。

 

「病院の体質」に変化が起きるかは別として

病院のベッドの上で、ただ過ごすのではなく、自分の出来る範囲で未来に残そうとエネルギーを使う。

 

ガンの闘病をしているのに、改善の提案書を作って出すなんてなかなかいないんじゃないですかね・・・(笑)

 

もしかすると、これが「生きるという事の本質」なのかもしれませんね。

 

最終日、退院を迎えるにあたって

今回は大きな副作用もなく無事に自宅に戻ってこれそうです。

ただ、ガンとの闘いは終わりません。

これからが本番といっても過言ではないでしょう。

 

その中で、今の父親とガンとの関係にふと疑問を覚えました。

ガンは不治の病ではなく、早期発見できればそのあとの治療で普通の生活を取り戻せます。

 

ガンという病と「闘う」という表現をよくされますが

「もしかしたら、違うのでは??」と感じています。

 

末期の状態の人からすれば、もうガンと闘うのではなく

『うまく共存しながら生きていくもの』なのではないか??

 

ガンとの『闘病生活』ではなく『共存生活』が正しい表現ではないか?

 

なんてことを思う今日この頃なわけです。

 

 

とにかく!!

今回の入院で『分子標的薬治療』は効果が見込めたという事。

副作用も強く出ておらず、無事に自宅に父親が戻ってこれることに感謝したいと思います。

 

今回の入院で

『なんのために』

この部分を考える機会が、父親・母親そしてわたし自身も与えられたように思います。

 

 

以上、ガン治療『分子標的薬治療』で1週間の入院で見えてきたモノは何か?

でした!

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