ガン闘病記「今一度、これまでを振り返って(1)」 3月16日 

まさ
まさ

こんにちわ、まさとです。

ガン闘病についての振り返りを載せておきます。

一人でも誰かの役に立ってほしいという父親の願いあってのことなので

脚色を入れず、そのまま載せておきます。

ガン闘病記「今一度、これまでを振り返って(1)」

今、事実経過や心の軌跡をたどっています。

私の心がどこからどう変わっていったのか、振り返っています。

 私が背中の痛みに耐えきれず、整形外科の診察を受けたのが、昨年の10月24日でした。
レントゲン撮影の結果、胸水が大量にたまっていることが発見され、医者からは「私に何をして欲しいんですか。それどころではない。これは命に関わる病気ですよ」と言われ、当日すぐに救急車で杏林大学病院の救命救急センターに運ばれました。
 やがて陽子さんが駆けつけました。そこでレントゲンやら血液検査やらを受けて、応急措置として
500mLの胸水を抜いてもらって帰宅したわけですが、私は背中の痛みも釣りに行った時に傷めたものとばかり思っていたので、とんだ勘違いをしていたわけです。
その時、医者から「悪性の腫瘍、癌性の胸水の可能性が95%」と言われ、ガンであることは覚悟しました。
「正式の診断結果は、次回の外来で」と言われましたが、誰が見ても、レントゲン写真に写っているのは直径4〜5cmの塊で、立派な肺癌であったわけです。
 その翌週の水曜日(28日)、杏林大学病院の呼吸器内科の外来で、正式にガンの宣告を受けるのですが、外来までの数日は、痛みと大量の寝汗、そして死への恐怖・不安で眠れない夜が続いていましね。
 川手さんへのメールで次のように述べています。
 痛みの他に夜は1時間、あるいは1時間半で目が覚め、起きるたびに下着
がびっしょり寝汗で濡れています。睡眠が細切れになっているので、連日睡
眠不足の状態です。原因不明です。一ヶ月ほど前には、体重も3キロ痩せま
した。その後頑張って食べて1キロ半ぐらい戻しましたが、無理に胃に詰め
込んでいる感じですね。
今は私自身よりも陽子さんが心配です。昨夜も眠れていないようでした。
 今日はここまで。

最初の外来(10.28)の前日、その心境をこメールで次のように述べていました。

心の準備はしてあります。不思議なもので、余命が限られたとき、
何がしたいかと考えたとき、結局、今まで通りの生活を少しでも長くという結
論に達しています。陽子さんとの残る生活を大切にしたい、それだけでした。
こうなっては、資産が何億あったとしても、なんの役にも立ちませんね。
外来当日のやりとりは次のようなものでした。
 「肺腺癌です。骨への転移もあってステージ4bの進行癌、それが診断です」
 「余命はどのくらいありますか」
 「何もしなければ、4〜5ヶ月でしょう」
 「どのような治療法がありますか」
 「手術と放射線治療は他の場所への転移もあってもうできません。可能なのは」と、治療方針についても話してくれましたが、担当医の考えは、胸水を抜いて胸膜癒着までを入院二週間でやろう、その後は抗ガン剤治療をしてとプランを立てていたようです。
 ところが、どちらもしないと私が言ったものですから、病院側は予定が狂って大あわてでした。
固形の肺腺ガンに抗ガン剤は効かないこと、胸膜癒着術に伴うリスクなども調べて知っていたこともその理由ですが、コロナ禍で厳しい面会制限があって陽子さんと何週間も会えなくなることが大きかったですね。
入院してそのまま亡くなるなんてことだって、ないわけではありませんでしたから。
 一方病院側は、あらかじめ当日から入院予定を組んでいたようで、その取り消しで大わらわ、入院先の看護センターから「どうなってるんだ」と電話が入り、担当医もその応対に追われるなどしていました。ですから、担当医も相当動揺していたんでしょう。
書類の記載ミスで当日の会計ができなかったり、投薬中に睡眠導入剤の記載が抜けてい
たり、陽子さんと二人で笑っちゃいました。
 さて、当日の私はというと、必死で平静さを保とうとしていたのですが、外見上とは
裏腹に、血圧は180以上に跳ね上がっていましたから、私も異常な緊張状態だったわけです。
その証拠といいますか、救命救急センターに運ばれ、ガンと知った翌日から、第一回の外来までの数日の記憶が飛んでいるんです。
よく「頭が真っ白な態」と喩える方もいますが、毎日、インターネットで、肺癌について、ステージ4の生存率について、どのような治療法があるのかなど、夢中で調べていたのは間違いありません。
そして、ステージ4に至っては、肺ガン治療を受けたとしても完治は困難で延命治療となる、また5年生存率が4%と知った後は「死にたくない」「もっと生きたい」「いや、きっと生きてみせる」という表の声と、「本当に治せると思っているの?ステージ4は完治は無理だと言ってるよ」「いくらあがいても、ダメなんじゃない。」「年は越せるの?」と囁き続ける裏の声が、心の中でぶつかり合っているんですね。
このように心の中では、理性と感情の激しい相克が続いていました。
 これを「僕は、死なない」の著者でステージ4の肺がん患者であった利根健さんは次のように述べています。
 「ポジティブの裏側には同じだけのネガティブが存在する。・・・・ポジティブとネティブは同じエネルギーの両端でしかない。思考で感情をコントロールすることはとても難しいこと、・・・・ほぼ不可能である」
 そうだと思います。「逃げずに戦え」という声の裏には「やっぱり無理だよ」という、もう一つの声があり、頭の中は葛藤し疲れ切っていました。心はヤジロベエのように揺れていました。
 11月5〜6日、肺の内視鏡検査で入院しました。肺の検査と同時に、ガン細胞を切り取り、遺伝子検査にかけて、他の治療法を探すのが目的でした。
そして、11月の中旬までは、4〜5日に一回、胸水を抜いてもらいながら、今か今かとその結果を待っていたわ
けです。

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