父親が思う『死』とは何かを受けて。
今回はまずはじめに
父親から来たメールを紹介します。
そして、このテーマの記事に関しては
ぜひ読んでいただいているあなたに、多くの人のシェアをしていただければと思います。
ガンと闘いながら、今後に生きる人の力になろうとする父親
その父親に影響を受けた息子
わたしたちでしか伝える事が出来ないものがあるはずです。
一人でも多くの人の力になれますように。
それではまずは父親のメールの内容になります。
今の私にとって「死」は、明るい白色です。
暗闇ではなく、体を包
死そのものに恐怖はなく、私たちが一般に死の恐怖というのは死に
コロナ禍のようないつ自分を襲うかも知れない感染のような心理的
思います。肉体的苦痛は緩和ケアで相当抑えられます。
しかし後者
私が比較的冷静でいられるのは、いつも陽子さんがそばにつ
これを一言で表せば「穏やかな心」を保つという
さて、世の中には「自分の体のことは自分が一番わかっている」と
が、これは大間違いですよ。
私が言うんだから間違いありません。
3年前右側頭葉脳内出血も突然私を襲いましたし、つい一ヶ月前まで胸水が70%も
自分では緊張していないと思っても、脈拍は上がり血
心臓の動きや血流も
唯一人間がコントロールできるのは呼吸でしょ
ヨガ、気功法などの呼吸法で呼吸を整えることで、リラックスさせたり集中したり
自分の健康への過信は禁物です。臆病なぐらいでちょうどいいと思
くりかえします。私が言うんだから間違いありません。
わたし自身に今はまだ実感のない、「死」について深く考えさせられる内容です。
息子として、一人の男として
この内容から感じるもの、現時点で感じることを残しておこうと思います。
『死』とは「明るい白色」
『死とは明るい白色』
物書きの父親らしい表現だと思いました。
現時点では、父親が見ている景色と同じ景色を見ることはできず
『死=明るい白色』
この表現を理解しきることはできません。
これは息子として、父親からのメッセージとして心に刻み込んでおくつもりです。
いま、一つ言えることは
メールの中にもあるように『暗闇』ではなく『光』でよかったと思います。
恐れや不安ではなく、『心が安らか』であるのであれば、息子のわたしとしては救われた感情が沸きました。
まだ父親の目の前にある『死』に対して、実感が沸いていないから言えるのかもしれませんが
多くの苦労をしてきた父親です。
目の前の逃れる事が出来ない『死』に対して、少しでも安らかにその時がくるまで生きてほしいと願います。
寄り添うパートナーの大切さ
メールの中にもありましたが、父親が心安らかに過ごせるのは『母親』のおかげです。
母親も70歳のため、年齢としてはもう若くはありません。
体も思うように動くわけではないですが、在宅で看取るという覚悟を決めてから父親のそばに今まで以上に寄り添っています。
母親だけでは在宅療養は難しい状況で、地域医療の多くの人から協力をいただいており
支えていただき、感謝でしかありません。
ただ、やはり母親(父親からすれば妻)が横にいてくれることが大きな影響を与えていること。
『家族があること』の大切さを、再確認させてもらっています。
息子のわたしが言うのは変な気もしますが、
「わたしも両親のような関係を築きたい」と心から思います。
多少の喧嘩はありますが、二人ともお互いを尊敬しています。
「あの人が居たから」とお互いに言っているのですから。
両親を反面教師にする人もいますが
わたしにとっては、両親は一番目指すべき理想の姿です。
生命維持に肝心なことは全て、意識外の肉体の自然な営み
このメッセージは、私自身の心にきちんと刻みます。
ぜひこの記事を読んでいるあなたにも、心に刻んでおいてほしいと思います。
価値観や宗教観はひとそれぞれありますが
自分の肉体は「与えられたもの」であることは間違いありません。
その肉体が維持できているのは、自分の意識外であること・・・その通りです。
わたしはこのメッセージから
「当たり前にあるものは、当たり前ではない。感謝をすること」
といわれているようにも受け取りました。
『両親から与えられた肉体と精神』
そして両親につながるすべての先祖や、関係してくれた人の存在があってこその自分であること。
いま一度、よくよく考えてみる必要がありそうです。
今回はここまで。
以上、父親が思う『死』とは何かを受けて。
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