【ガン闘病記録】「ガン宣告」を受けた患者と「夏休みの宿題」を抱えた子ども

まさ
まさ

こんにちわ、まさとです。【終わりの始まり Vol.9】

今回は、「ガン宣告を受けた患者の感じるリアル」

を取り上げていきます。

「もし自分がガン宣告を受けたら、どう感じるのだろうか?」

この質問に対して

少ない自分の脳みそを使って・・・(笑)できる限り想像してみました。

 

うーん。

 

うーん。

 

結果・・・想像できませんでした!(笑)

 

想像できなかったというよりは、今までの自分の体験に比較材料がなかったため

その瞬間を

「頭ではイメージできるが、心でイメージが出来なかった」

というのが正確な表現かもしれません。

 

本に書いてあるような、またドラマに出てくるような言葉で、

イメージをしようと思えば表現できるかもしれませんが・・・。

 

それはリアルな感情ではなくて、あくまで想像でしかないわけで。

「なんか違うんだよなー。」「なんか浅い気がする。」なんて思いました。

 

あなたは想像できますか?

ガンを宣告される自分の姿、その瞬間・・・どのような感情が沸き出るのか。

「ガン宣告」を受けた患者と「夏休みの宿題」を抱えた子ども

さて、今回の記事タイトルを見て

「なるほどね!」

なんて思えた人がいたら、きっと周りにぼくの父親と同じ状況の方がいたんでしょうね。

今回は、「?」が付くように、わざとタイトルを作りましたので(笑)

 

今回ぼくが語ることはありません。

むしろ、語れない部分です。

 

実際に「ガンと共存」している父親にしか語れない部分なので

父親の言葉そのまま紹介していきます。

・「ガン宣告」を受けた患者

・「夏休みの宿題」を抱えた子ども

この二つの対比を通して、

今回はあなたにも「ガン宣告」というものを、まずは「頭で」イメージするきっかけになったら嬉しいです。

ガン宣告=〇〇

ここからは

父親のメールの引用になります。

 夏休みの宿題を抱えた子供と、ガン宣告を受けた患者はどこか似ていますね。
夏休みの宿題を抱えた子供が、夏休みの終わり頃になって大慌てで宿題に取り組むように、ガン宣告を受けた患者は、死と否応なく向き合わされたとき、大急ぎでやり残したことを終わらせようとします。我ながら、先送りしていた宿題に取りくむ子供と今の自分は大差がないなぁ、ちっとも成長していないなぁって、苦笑いしています。
20代、30代は「運動」に明け暮れ、20代は国鉄労働運動に、30代は武蔵野三鷹労働相談センター(ムルック)を中心とした地域運動に没頭しました。中国留学をはさんで、40代.50代は日本語教師という仕事に打ち込みました。
挫折もあったし、自分の思い描いた結果を得ることはできなかったとはいうものの、ひたむきに生きてきたことについては、自分を褒めてやってもいいと思っています。しかし、退職後の自分は「人生を楽しむ」ということを第一としてに生きてきたわけですが、いつもどこかに後ろめたさがありました。やるべきことをやっていないという良心の痛みがありました。最近、やっとその正体が見えてきました。
大学を中退し、砂川で立川米軍基地撤去闘争に取り組み始めたとき以来の夢、この世の中を変えようとする思い、その夢をいつしか置き去りにして、個人的な趣味の世界に埋没していたことに対する自責の念、それがその正体でした。
国労時代の仲間もそう、武蔵野三鷹労働相談センター時代の仲間もそう、運動にとって苦しい時代を地道に変わらず闘いの炎を受け継ごうとしている仲間の姿を見るにつけ、その気持ちは強くなっていくのに、その心の声にずっと蓋をしてきたんですね。自分と真正面から向き合う、これができたのはガンのおかげです。皮肉なものですね。ガンになっていなければ、きっと私は何も変わらなかったでしょう。
「死を視野に入れて生きる」、20代、30代の若者に言っても無理かもしれませんが、それができれば、人の人生はもっと違ったものになるかもしれませんね。限りある命の大切さを知ることができるからです。
「死」があるからこそ、人は充実した人生を送れるのではないでしょうか。
「死」があるからこそ、人間にとって何が大切かを知ることができるのではないでしょうか。
そんなことを、私はガンから教わりました。ですから、今の私はガンになったことを恨んではいません。もし「神」が存在するなら、その「神」が自分を見つめなおす機会を与えてくれたのかもしれないとも思えるんですね。穏やかに好きな釣りや将棋をしながら、のんびりと老後を送るというプランは消えましたが、それとは違う最終章が始まったように思えま
す。

もう一度、見果てぬ夢を追ってみましょうか。

真実

死があるからこそ

「死」があるからこそ、人は充実した人生を送れるのではないでしょうか。
「死」があるからこそ、人間にとって何が大切かを知ることができるのではないでしょうか。

 

「もう一度、見果てぬ夢を追ってみましょうか。」

『目の前に「死」がある人間だからこそ、表現できる言葉だな・・・。』

と息子ながら、感動を覚えました。

 

言葉ではうまく表現できない感情の揺らぎがぼくにはありましたね。

 

さて、あなたはどう感じたでしょうか?

 

今回はここまで!

以上、【ガン闘病記録】「ガン宣告」を受けた患者と「夏休みの宿題」を抱えた子ども

でした。

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