父親の余命宣告をどう受け止め、生きていくか【終わりの始まり Vol.0】

父親の余命宣告をどう受け止め、生きていくか【終わりの始まり Vol.0】

これから描くテーマの記事は

少し重い内容になり、いくつもの記事に分かれるものになりますが

わたし自身のために残しておこうと思います。

 

もしあなたがこの記事読んでいくなかで、少しでも何かを感じることがあれば

ぜひこの記事をシェアしてください。あなたの大切な人に。

 

この記事を書くに至った経緯はたった一つ。

余命宣告を受けた父親が、残りの人生の時間を使い、生きている限り

『ガンと生きる』というテーマに、毎日メルマガを

息子のわたしや、関わってくださった友人などに送ると決めたからです。

 

逃れることができない『死』を目の前に

『これから生きる人のために、少しでも何かを残そうとする父親の姿』

息子である私が触発されました。『生き様』と『姿勢』に感動を覚えました・・・。

 

こんなことを恥ずかしげもなく言える自分に、多少驚きではありますが。

本当に父親には「感謝」と「尊敬」の感情しかありません。

もちろん、父親を支えている母親にも同様の感情を覚えています。

(父親のメールの内容は、必要な時期が来たら公開することも考えていますが、現状はまだ公開しないでおきます)

 

さて、本題に入る前にいくつか質問をさせてください。

・「両親は、ともに健在ですか??元気に生活をしていますか?」

・「両親とは、定期的に顔は合わせていますか?」

・「両親とは、どこかに出かけたり最近しましたか?」

これらの質問に「YES」を答えられるあなたは、本当に幸せなことです。

その状態があることにまず感謝をしてください。

 

もし、どれかひとつでも「No」なのであれば

今すぐに「Yes」にできるように行動を起こしてください。

 

なぜ、私がこのようなことを伝えいているのかというと

父親が『肺がん』ということが分かり

もうこの先長くないという余命宣告をされたからです。

 

そして、これから書いていく記事であなたに伝えたいことは

一貫して一つ

『大切な人との時間を、本当に大切にしてください』

父親の現状

まず、父親の状態を残しておきます。

現在72歳(次の2021年1月で73歳)

 

始まりは数年前(3年ほど前でしょうか。)

脳梗塞を起こし緊急入院をしました。

しかも、釣りをしている最中に脳梗塞を起こし、川の中に倒れこんだ・・・と後で聞きました。

 

この時は奇跡的に一命をとりとめ、

後遺症は少し残ったものの普段の生活を取り戻しました。

東京の三鷹市にある杏林病院で処置いただきました。

 

親父は

「まだ生かされた。やるべきことがあるんだと思う。」

とその時は言っていましたね。

 

今回は1年くらい前から体調がすぐれない時期が続き(食欲の低下と全身の痛み)

さすがに普通ではないとのことで、脳の検査以外に全身検査を行いました。

 

そして、『肺がん』であることが分かりました。

具体的に残しておくと

・肺腺癌

・ステージ4

・全身転移

・末期

この状態での生存期間は長くて『4~5か月』とのことです。

 

通常であれば、抗がん剤の治療や病棟に入っての治療になる状態ですが

コロナウイルスの影響があり、一度病棟に入院してしまうと

思うように面会することは難しくなります。

 

そのため、父親と母親の話し合いの中で

自宅で最期を迎えようということを決め、在宅医療を行いながら現状過ごしています。

余命宣告を受けて

驚きなのが、この余命宣告をうけた父親本人と母親の状態です。

一言であらわすのであれば「すべてを受け入れている」です。

 

正直わたしは、今この時点でも実感が沸いていません。

何か映画やドラマでも見ているような状態です。

頭では情報が入っているが・・・心が受け入れていないような、表現しにくい状態です。

 

「本当に父親が1年も生きることができないのか?」

想像すらできていません。

 

ただ、日に日に痩せていく父親を見ると

わたし自身も、『父親の死』を受け止める覚悟をしないといけないと思っています。

それとともに、残される母親を心配になっているいうのが現状です。

 

さて、ここまで簡単に現状をお伝えしましたが

今日お伝えしておきたいことは一つです。

あなたは両親に会っているか?

両親と離れて過ごしていますか?

そうであれば、最近顔を合わせましたか?会いにいきましたか?

 

両親と住んでいる人であれば

家族そろっての時間をきちんととれていますか?

 

わたしが今、後悔をしていることは一つ

「もっと両親と会って、旅行に連れて行ったり家族の時間を作るべきだった」ということです。

 

「家族で旅行に行こうね!」という話はありましたが

コロナウイルスが流行してしまい、家族全員で旅行に行くという

当たり前にできると思っていたことが、当たり前でなくなりました。

 

そして、わたしはもう・・・家族3人で旅行するという事を叶えることはできません。

 

この記事を読んでくれているあなたには、同じ思いをしてほしくありません。

一刻も早く、家族との時間をとれるように行動してください。

「当たり前だったものが、当たり前じゃなくなる瞬間は必ず訪れます。わたしのように。」

その瞬間を選ぶことはできません。

 

いま、あなたが時間を作りさえすれば

「家族と過ごす事が出来るのであれば、その時間をぜひ大切にしてください。」

 

今回はここまでにします。

できる限り多く、このテーマの記事は書いていきますので

目を通してもらえると幸いです。

 

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