【ガン闘病記録】「ガン=死」は間違い!?

まさ
まさ

こんにちわ、まさとです。

今回は『始まりの終わり Vol.15』です。

今回は「ガン=死」は間違い!?

これがテーマです。

とはいっても、この内容は

「実際にガンに罹(かか)った本人でしか語れない事だなー。」

と思うので、今回は素直に感想だけをお伝えしていこうと思います。

「ガン=死」は間違い!?

まずはいつものように、父親から来たメールを紹介していきます。

多くの人々の頭の中には、「ガン=死」というイメージが強く刻まれているようですが、これは間違いですよね。
実際、治せるガンもあれば、治せないガンもあるわけです。

統計(<2021>国立ガン研究センター)によると、
生涯でガンに罹患する確率は、男性65.5%、女性50.2%ですが
ガンで死亡する確率は男性26.7%、女性17.8%なのですから
それ以外は、ガンが治癒したか、あるいはガンを抱えながらも他の理由で亡くなったことになります。
ガンで老衰だってあるんじゃないでしょうか。
ガンはあくまでも病気です。更に言えば、病気(ガンを含む)と死は別物だと言うことです。
「死ぬのが怖い」とよく言いますが、本当に怖いのは「死」そのものなのですか。違うんじゃないですか。
ガンによるものであれ、他の病気であれ、痛みや苦しみの中で死ぬのが怖いのではないですか?
それは死に至る過程で起こることであって、「死」そのものではないはずです。
私はいつか「死は白い光のようなもの」と書いた記憶がありますが、これは眠りながら夢うつつの中で浮かんだ死の映像でした。
私はその光の中に吸い込まれていくような感覚でした。
それが出口なのか入り口なのかは知りません。

でも、キリスト教徒であれば、「天に召される=天国への入口」と言うんじゃないでしょうか。
天国や死後の世界があるのかどうか、私は知りませんがね。

実はこの「死は白い光のようなもの」は、小学生の低学年のころ、体験したことがあるのです。
今でいう霊的体験と言われるものです。
それは、夜一人で怪談映画を見に行った帰りのことです。
家に帰る田舎の夜道は今のように街灯はありせんから、暗くて遠くに人家の灯りがちらりほらり見えるだけです。
子供の私は、人通りがたえた農道を、幽霊が出てこないかと怖さでビクビクしながら歩いていたのですが(今もはっきり思い出せます)
道の左手に馬小屋、右手の少し奥に農家があったところで、恐怖で足がすくんでしまいました。
その時でした。数メートル、いやもっと先かな、ぼやっとした白い光が突然現れ、私の前をゆっくり動き始めました。

私は知らぬ間にそれまで感じていた恐怖感は消え去り、導かれるかのように白い光の後をついて歩き始めました。
その光は自分の家のすぐ近くまで、私を送ってくれました。
この白い光と、私の見た「死は白い光のようなもの」の光はとても似ていた気がするのです。

ごめんごめん。こんな怪談・奇談をするつもりじゃなかったんです。
言いたかったのは、死の恐怖というものの正体が、死に至る過程で生じる痛みや苦しみであるなら
それらを取り除くことさえできれば、「死」は恐怖ではなくなるのではないかという話でした。

幸いなことに、緩和ケアーが進んでいますから、ガンは、今では身体の痛みや苦しみを取り除くことができるようになっています。
ですから、今の私が望むのは、今後何があったとしても、与えられた命を悔いなく生きることのみです。

私はコロナで死ぬことの方が、何倍も、いえ何百倍も怖いです。正直、毎日ビクビクしています。

がんでの死亡率(2021年最新統計で公開されている/2019年度のデータ)

さて、まず父親が統計情報を提示してくれたので

裏付けをとるために念のため調べてみました。

はい、ありました!国立がん研究センターのデータ。

引用元:https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

ただ、一つだけ追記しておきます。

最新で公開されているものではありますが、データ自体は2019年と記載されているので、2020年度のものではない事だけ残しておきますね。

父親の言っているように、ガンが発覚したからと言って、全ての人がガンで死亡するわけではないという事です。

この部分は確かに誤解して必要のない不安を感じてしまっている人もいそうですね。

「ガンはあくまでも病気

「死ぬ」ということが本当に怖いのか?

これはかなり深い問いですね。

父親の現時点の結論は

「死」自体が怖いのではなく、「死」に至るまでの過程や苦しみを恐れているのでは?

ということですが、あなたはどうでしょうか??

 

「あなたにとって「死」というのはどんな存在でしょうか?」

 

ぼくの今の回答をお伝えすると、

「漠然とイヤ!!」ですね。

ただ、なぜ「イヤ」なのかと問われれば、実はシンプルなコタエです。

 

「未知のモノ・知らないモノ・理解をこえるもの、情報を得ることができないものだから」

 

これを書きながら、ふと面白い事実に気づきました。

世の中のほとんどすべては、必ずどこかの誰かが情報を持っています。

何とかしてその情報を手に入れさえすれば、実は未知のモノというのはないです。

 

ただ、唯一・・・「死」は未知のモノじゃないですかね?

「死」は、『概念』や『考え方』は存在しますが、本当の「死」に関しての情報はありません。

 

そりゃそうですよね、死んだ人が生き返って・・・「リアルな情報を教えてくれる」という事がないわけですから。(宗教上の発想や捉え方は、ここでは脇にいったん置かせてください!)

もしかすると、これから先の未来で、「死」というものが解明される時が来るのかもしれませんが

今の時点では、今生きている人にとって最後まで未知の存在が「死」ってことになると思います。

 

なので、ぼくの結論ですが

・「死」自体が怖いのではなく、未知のモノだから恐れてしまう。

・痛みや苦しみは想像も出来れば、情報もあるのでわかりやすい。

したがって

「怖い」というよりは「イヤ」という感情に近いですね。

悔いなく目の前を生きる事が大切

「父親の言うとおりだよなー」って思います。

ただ僕の場合は、ガンに罹っている本人ではないので、少し角度が違います。

 

「最後まで未知のモノに恐れるよりも、目の前の変化させれる道ではない部分に生きているうちに取り組もう」

なんてことを思います。

 

最後はどんな形であれ、人は死ぬ。

延命は出来るかもしれませんし、寿命は今後さらに伸びていくかもしれませんが最後は必ず来ます。

 

動物も、植物も、大きく見れば惑星もすべて最後は「死」というものがあります。

この世界にある「不変のモノ」のひとつが「生まれて、死ぬ」というサイクルとも言えるのかもしれません!

死というものに対して、コタエがないからこそ、死生観というのでしょうか?

自分なりの死というものに対しての哲学?思想?のようなものは大切になるんでしょうね。

 

以上、「ガン=死」は間違い!?

でした!

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