こんにちわ、まさとです。
今回は『始まりの終わり Vol.14』です。
今回は、父親と母親が交わす些細な日常会話ですが
2人の心情があらわれているメールの内容を紹介します。
父親自ら「ドキッとする夫婦漫才」
というタイトルをつけて送ってきたものなので、タイトルの視点を持って読んでみると面白いかもしれないですね!どんなことを感じるのか是非教えてくださいね!
ドキッとする夫婦漫才
以下、父親から来たメール内容です。
僕たち夫婦の会話といえば、その多くは夕食が終わって寝るまでの二時間ですね。
陽子さんは20代(40年以上前)でインド一人旅をしたような女性で、ガンジス河では、遺体が焼かれるすぐそばで、人々が平気で歯磨きをている光景、死んだ子どもの遺体をガンジスの流すと、それを犬が貪り食っている光景、そんな強烈な異文化体験をしたせいか、死生観も多くの日本人とは違うように思えます。
いつものように。私はベッドに横になり、陽子さんはベッド付きのテーブルで本を読みながら、野菜スープに椎茸や霊璽を入れたら免疫がつくなんて他愛もない会話をしてたんですが、
突然
「ねえ、人間って、70年も生きて、まだ生きたいんだろうか」
とハッとすることを言うんですね。
そして、「死ぬとしても、癌で死ぬのは幸せっていう人もいるよ」「どうして?」
「死期がわかって、それまでにやっておきたいことや、残しておきたいことや、お別れやらをする時間が残されるから」
「なるほどね。やっぱ、コロナ死とかが一番嫌だね」などと話していました。
すると、私に聞くんです。
「あなたが、死ぬまでにやっておきたいことって何?」
「いっぱいあるなぁ」
「ははは(笑)、本当に欲張りなんだから。やっておきたいことがたくさんあるんなら、あなた死ねないわ」
これだけの会話なんですけどね。
「なんで長生きしたいと思うのか?」
この「問い」は面白いですね!
あらためて聞かれると、即答するのが難しい。
でも、たしかに「なんでだろう??」って疑問が湧いてきます。
基本的に、「長生きしたい」というのは通常の欲求!
せっかくなので一緒に考えてみましょう!
「短命に、濃い人生にしたい!!」
なんて人も稀に居ますが、きっと本当に目の前に死期が迫ったら「もっと生きたい」って素直に思うんだろうなぁ・・・(笑)
ぼくの年齢(34歳)では、まだまだ「人生これから!」という思いは持っていますし
ほとんどの30代も同じ気持ちを抱いていると思います。
30代くらいだと
・子どもがいて
・家庭を持ち
・家族を守る
そのために必死で働いている」そんな人も多い年齢ですよね。
「そりゃー、まだまだ死ねないです!」
ただ、今は人生『100年時代』と言われていたりして、100歳まで生きる可能性はあるとして。
「健康な状態で100歳まで生きれるか?」
と考えたときに、願望では「健康で100歳まで過ごせること」というのはありますが
実際問題、100歳でどこまで「心身ともに、さらには頭脳も」健康を保てるのかと考えたら・・・
「なかなか厳しそう・・・。」
というのがリアルなんじゃないかな?って正直思っちゃいます。
もし仮に、70歳くらいで何かしらの病気になって『入院生活』になったとしたら。
さらに言えば、
入院生活の中で、「自由に体を動かすことも出来ず、自分の意思で何かをすることが難しくなった状態」になったとしたら。
「それでも、長生きしたいと思うモノなのかな??」というのは疑問です。
やりたいことが「いっぱいある」
父親が言った「やりたいことがいっぱいある」
この一言が、「生きたい」と願う理由の本質に近いんじゃないかなーと感じます。
一つやりたいことが出来ると、次のやりたいことが出てくる。
この繰り返しで、いつまでもやりたいことが無くなることがない。
母親が言うように
父親だけでなく「人間って欲張りなもの」なんだと思います(笑)
「欲を持たない事」が美しい的な宗教観があったりもしますし、「欲深くならないように」なんて教わることもありますが、一つの答えとしては正しいんだと思いますが
ぼく個人的な意見としては、
「人様に迷惑をかけない範囲で、欲深く生きた方が活力にあふれるんじゃない?」
なんてことを思います。
「自分の人生はやり残したことが沢山ある!ただ最高の人生だった」
今回は、父親と母親の会話を取り上げましたが
ふたりの些細な会話が、「ホッとする瞬間」に感じれるようになったのは
まちがいなく、「ガン」というモノで命の期限が決まったからなので、不思議なものですね。
今回はここまで!
以上、【ガン闘病記録】ドキッとする夫婦漫才
でした!
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