老々介護の実態を垣間見た瞬間。他人ごとではない【両親から感じる】

老々介護の実態を垣間見た瞬間。他人ごとではない

こんにちわ。まさとです。

今回は【終わりの始まりVol.2】

少し考えてもらいたい内容になります。

 

それは、『老々看護・介護』という事に関してです。

 

若い世代の人には関係ない話に思えるかもしれません。

わたし自身も最近までは、正直・・・他人ごとでした。

「大変だなー。」という一言で終わらせてしまっていました。

 

自分の身近に『老々看護・介護』という事態が起きなければ気付く事が出来なかったかもしれません。

ぜひ、この記事をひとつの考えるのきっかけにしてもらいたいと思います。

 

まず、父親からのメール(闘病日記)の一部を紹介します。

彼女はいつも明るく振舞ってくれていますが、私の目から見て、いつ倒れてもおかしくないほど疲れています。

しなくていいといっても、私が毎晩着替えやレスキュウ麻薬を飲むたびに起きて、お湯の用意をしてくれて、床につくまで介助くれます。

毎晩、少なくとも4〜5回ですよ。最近の陽子さんは、何をするにもミスが目立ちます。
薬の時間を間違えたり、薬そのものを間違えたり、ご飯を運んでくれるのに箸を持ってくるの
を忘れていると言った始末です。

彼女の体と心には休息が必要です。今度の私の杏林での一週間の入院は、うまくいけば陽子さんにとって中休みになるだろうと思っていますが、副作用がひどいとなると、それどころではなくなるでしょう。
私は在宅介護、在宅での看取りにはこだわっていません。野村の緩和病棟のことはいいニュースでした。陽子さんと私が共倒れするわけにはいきません。
できれば、4Fの仕事帰りに時々家によって、陽子さんの体調や様子をそれとなく見ておいていただけませんか。

気のおける人とのおしゃべりは彼女には何よりも大切だと思うのです。そして率直なアドバイスをしてやってくれませんか。

 

この内容は、両親がお世話になっている方へ父親からお願いの内容として送られています。

これが一つの事実だという事を痛感させられました。

想像以上の負担

父親、母親共に70歳を越えています。

以前の記事でお伝えしましたが、父親の肺がんが発覚し

在宅医療を選び、自宅でできる限りの看護と介護をしながらの生活をしています。

 

メール(闘病日記)の内容の中にあるように

母親は、父親を自分の睡眠を削りながら支えている状態です。

わたし自身も出来る限りのことはするために、定期的に自宅に戻ってはいますが

24時間毎日一緒に過ごしているのは母親というのが現状です。

 

まだ父親も自分で歩くこともでき、自分で食事や排せつも出来るので

身体介護まで必要になっていませんが、それでも支える側にはとても負担がかかっている状態です。

 

特に負担になっているのは

・睡眠がとれないこと

・毎日気を張って過ごしている(父親の体調に異変が起きていないかを常に意識している)

この2点です。

 

体力はもちろんですが、精神的な疲れが間違いなくたまっている状態が続いてしまっています。

そしてその母親を気に掛ける父親も、本当は「迷惑と負担をかけたくない」というのが本音だと思います。

自分の体より、母親の体を心配しているわけですからね・・・。

「介護に疲れて・・・」って気持ちがわかる。

わたしは最近、印象に残ったことがあります。

 

それは、母親が冗談で

「介護している側が暴力をふるってしまう気持ちがわかるよ!」

と笑いながら言った瞬間です。

 

本気で言っているわけではないですし、そんなことをする母親ではありません。

これは息子である私が一番理解しています。

ただ、そんな母親だからこそ

冗談でもその言葉が出てきたことに少し驚きを覚えました。

 

それだけ負担がかかるという事なんですね。

 

これは、実際に在宅で介護をしなければいけない環境、それを選んだ家族でないと言葉だけでは実感は沸かないかもしれません。

 

ただ、頭だけの理解でもいいので知っておいてください。

 

在宅医療での生活、さらに在宅介護まで入ってくると

『支える側・支えられる側』ともに大きな負担がかかるというのが現実です。

とくに、体力以上に『精神的な負担』が大きいのだとわたしは感じています。

 

一番身近で一緒にいた相手が、どんどん弱っていく姿を見るだけでも十分精神的には堪(こた)えると思います。

少しでも楽にしてあげたいという感情から頑張って支えようとします。それが支える側の体と精神に負担をかけていく。

それを支えられる側は見ているのが苦しくなる。自分の責任だと感じて精神的疲労がたまる。

といった悪循環が生まれるといった具合です。

 

避けては通ることができない部分かもしれませんが、それでも見ている私からすると少し辛いものがあります。

自分たちで学ぶ事と周りの環境

暗くなるような話をしてしまいましたが、今回伝えたいのはあくまで現実問題を知ってほしいという事です。そしてこれは多くの人が通る道だと思います。

自分が両親を。

自分のことを自分の子どもが。

現実と向き合うために私も記録として残しています。

恵まれている

とはいえ、

わたしたちの状態は、まだ他の環境に比べてかなり恵まれている方だと思います。

 

近くに信頼できる介護のプロがいますし、相談もできます。

介護認定も要介護4に認定をされ、

介護保険の利用でケアプランを立てて進んでいくことができることになりました。

 

要介護4だとしても、父親は自分のことはある程度自分で出来ている状態で制度を使わせてもらえるという事はありがたいことです。

(要介護認定に関しては、私自身も勉強しているので別記事を用意しますね。)

 

簡単にお伝えしておくと

介護保険の適用をうけるのにいくつかの段階があります。

要支援1・2

要介護1・2・3・4・5

この段階によって利用できるサービスや、保険の給付金額の上限が変わってきます。

 

要介護4に認定されたのは父親的には少しショックではあったようですが、まだまだ自分自身で動けているので早いタイミングで要介護4をもらえたことで負担はかなり軽減される可能性があります。

 

ひとつ比較の例を出しておきます。

【要支援1を認定の場合】

訪問型サービスは週1回の利用

【要介護4を認定の場合】

訪問介護:週6回
訪問看護:週2回
通所介護、通所リハビリ:週2-3回
定期巡回・随時対応型訪問介護看護:毎日1回
福祉用具貸与:車いす、特殊寝台・特殊寝台付属品

全く受けれるサービスの範囲が違うことを理解してもらえると思います。

 

知っているという事

両親ともに勉強熱心なので、自分たちできちんと調べながら

自分たちの出来ることは何か、自分たちが使える制度は何かを把握しています。

ここはとても大きいと思います。

 

介護保険自体、きちんと「把握している」か「していない」かで

生活を守る事が出来るかどうかが決まってしまいます。

 

使える制度があるのに、知らないばかりに使えなかった・・・なんて絶対避けたいですからね!

 

「自分が知らないことで、守るべき人を守れない…」

なんて事態にはならないように、少しずつでも一緒に学んでおきましょう。

避ける事が出来ないのであれば、どうするかが大切

超高齢社会を迎える日本の現状。

2025年までには日本の人口の25%(4人に1人)が高齢者になります。

そして、自然と高齢者同士が介護をしなければいけない状態がさらに増えてくる。

 

支える側も、支えられる側も大きな負担を抱えていくこともまた事実。

これは避ける事が出来ない今の現実です。

 

それであれば、

『わたしたちは何を考え、どう生きていくべきでしょうか?』

 

この答えは、今のわたしも持ち合わせてはいません。

今回の出来事を機に「考える必要性」は感じたので、きちんと自分なりの答えを見つけようと思っています。

 

もう一度あなたに問います。

『わたしたちは何を考え、どう生きていくべきでしょうか?』

 

このブログの中では現在進行形で両親とともに「ガンの闘病」「在宅医療・介護」の経験の中から、気付けたことや学べたことを共有します。

一人でも多くの人のヒントが見つかるように今後も励んでいきますので、ぜひ今後も目を通してみてくださいね。

 

以上、老々介護の実態を垣間見た瞬間。他人ごとではない【両親から感じる】

でした!

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