ガン闘病、短期戦から長期戦へ。新年明るい兆しに感謝

ガン闘病、短期戦から長期戦へ。新年明るい兆しに感謝

こんにちわ、まさとです。

【終わりの始まり Vol.4】

父親が退院してから気が付いたら1記事も上げておらず、「時が過ぎるのはあっという間だ」なんて実感しています。

 

2021年になりましたね。

明けましておめでとうございます。

 

わたし自身は父親の入院と退院。

年末年始。

バタバタして、気が付いたら1か月たっていました。

きちんと記事と向き合う事が出来ておらず、気が付いたらあっという間に時間は過ぎ去っていましたので

とても反省しています。

 

ということで、改めて最近の報告もかねてお伝えしていきます。

 

まずは、父親が分子標的両方の1週間の入院をおえて、12月中旬に自宅に帰ってきました。

結論からお伝えすると有難いことに、以前より状態は良くなりました。

 

父親のメールから紹介していきます。

 

【退院直後の父親のメール】

 

退院後、体調は少しずつ良くなっています。一番の理由は、フェントステープという
貼り付ける麻薬だけで、他の鎮痛剤抜きでも日常生活ができるようになった事です。三
時間おきにレスキューを飲んでいた時とは雲泥の差で、夜ゆっくり眠れるようになりま
した。これが体力回復につながっているようです。
二つ目は、この鎮痛剤を飲むのをやめて二日目あたりから、胃の具合が少しずつ良く
なり、食道の途中で食べ物がつかえる現象も無くなりました。その結果、スムーズに食
事が喉を通るようになっています。美味しいと感じることも増えました。
三つ目、あの大量にかいていた汗が次第に少なくなり、昨夜は一回着替えただけで
した。これはたぶん、たぶんですよ、分子標的薬の効果で、がんの炎症が治まってき
ているのではないかと思うんです。これと胸水の増え方が減っていることとは明らか
に因果関係がありそうです。
私も妻もこのがん闘病は数カ月の短期決戦だと思っていました。しかし、最近、も
う少し長期戦になりそうな気がするんです。分子標的薬ががんの増大を食い止めてい
る間に、自分の免疫力を高め、がん本体と戦っていく必要があろうと考え始めていま
す。長期戦となれば体制も変えなければなりませんが、何と言っても第一は「食」で
しょう。第二は「適度な運動」で、これは健康づくりの基本です。この他に、地域の
訪問医の勧めもあり、ハーモニカを始めました。昨日、パソコンに繋ぐマイクを買っ
て、演奏をパソコンに収録できるようにしました。
最近、陽子さんは、私が「ねえ、そこにある塗り薬、持ってきて」というと、「
そのくらい自分でできない?できなければ、私がするけど」「は〜い、できます」と
いった会話がよく起こります。陽子さんの気持ちは、もちろん、よくわかっています。
介護保険の介護サービスで、週三回介護ヘルパーさんがきてくださり、足湯と手足
や体の保湿、洗髪などをしてもらっています。週一回はシルバー人材センターからお
掃除のヘルパーさんがきてくれます。その分、陽子さんの介護負担は減るわけで、や
はり制度を上手に使うことは、長期に及ぶ在宅介護を続けるには不可欠だと思います。
大量の汗が出て私と陽子さんを苦しめたのは梅雨時でしたから、その頃からがん、
そして胸水が溜まり始めていたとして、少なくとも5ヶ月は生き延びた計算になりま
す。まだまだ私には時間がありそうな気がしています。唯一の不安は、分子標的薬
の副作用で致死性のある「間質性肺疾患」が発症するか否か、ですね。

短期戦から長期戦へ

メールの中にもあるように、

今のところ分子標的療法の効果があり

年越しをすることが怪しいという状況でしたが、無事に年越しを迎え、親父の誕生日も迎える事が出来ました。

 

この1か月の中で強く感じたことは、

『人間の体と心はとても不思議で、とても偉大である』

ということです。

 

「ハーモニカを吹くことが出来るようになってきた」

 

これは健常な状態ではたいして驚くことではないでしょうし、わたしも今の現状がなければ特に何かを感じることはなかったと思います。

 

呼吸すること自体が苦しかった父親の姿を見たからこそ、ハーモニカを吹けるようになったことは、わたしたち親子にとって明るい光です。

 

 

介護保険の適用により、自宅で介護していただく機会も増やす事が出来ており、

母親の負担もかなり軽減されました。

 

今では、父親本人が、映画を見たり本を読めるくらいの心の余裕が生まれています。

それもあって、わたし自身も記事を更新するのに少し気が緩んでしまったという事もあります。

反省です。

 

 

とにかく、ガンが体内からなくなることは今のステージ状況では難しいですが

少しずつ日常生活が普通に送れるようになってきました。

 

朝起きて、食事をして、テレビや映画を見て、会話をして、就寝する。

 

こんな当たり前のことだと思っていたことに対して、感謝の気持ちが湧くようになったことが驚きとともに、とても大きな学びをもらえています。

 

食事と免疫の重要さ

 

もう一つ父親からのメールを紹介します。

二冊ほど、がん治療をしている人のための食事に関する本を買いました。私の場合
食欲不振に陥って3ヶ月以上ですが、がんの発見される以前からです。もちろん発見
前もガンだったわけで、胸水が溜まり続けていたのですが、何が原因だったか考える
と、それは痛み止めのために飲み続けた市販の鎮痛剤に他なりません。胃もたれ、む
かつきがひどくなり、急速に食欲が減退してゆきます。それなのに、「痩せてはなら
ぬ、食べねばならぬ」と無理矢理意志で胃に食べ物を流し込むわけですから、同時に
現れるのが便秘です。味覚変化もおこリます。コロナのように味が感じられなくなるのではなくて、美味しく感じなくなって、匂いや触感に過敏になり、見るだけで、臭いがを感じるだけで「うえっ」と拒絶反応が起こるのです。73キロあった体重はみるみる減少し、67.4キロあたりまで落ちました。
11月24日、がんが発見されてからは、治療は胸水抜きと、痛み止めとして医療用麻
薬に変わりますが、12月09日入院時には66.4キロまで落ち込んでいました。治療にた
える体力を維持するためには食べなければなりません。しかし、これは苦行なんです
よ。それでも入院中は頑張りましたね。3〜4日で67.2キロぐらいに戻していました。
相変わらず胃もたれやむかつきはありますし、少し食べると、「うえっ」すぐ満腹に
なってしまうんですね。食べ物が食堂から胃まで落ちていかないで、途中で突っかか
っているんですね。ですから、食べるというのは、一口食べてはお茶を飲み、一口食
べてはお茶を飲み、時間をかけて胃に食べ物を落としてから、次の食べ物に移るとい
う作業になります。ところが三日目には便秘です。翌日も弁が出ません。それで止むを得ず、酸化マグ
ネシウム5錠(普通は1〜2錠)、ラキソペロンという液体の下剤(普通は数滴)を
十数滴お湯に入れて飲み、その夜は寝ました。次の朝、朝食後に便意がありました。
トイレで粘ること数分、出ました大量の便がどっさり。「ああ、良かった」とホッ
として病室のベッドに戻りましたが、一時間も経たないうちにまた便意。行くと出
ました、どっさり。どれも下痢状ではなく通常のものですが、2度目のはフワフワ
膨らんだ感じの柔らかい便でした。これで終わったと思わないでください。なんと
この日だけで4回、こうした排便があったのです。ここでその夜のラキソペロンを
減らせば良かったのに、10滴ほど入れて飲んだものですから、深夜から朝にかけて
2回排便、朝食後も排便2回という始末になりました。結果、退院の朝、体重はま
た減って、66.9〜67.0キロとなってしまいました。

退院し、免疫力をつける食生活への一歩を踏み出すわけですが、その方法やメニ
ューは写真が載せられるように息子に協力してもらって、次々会ぐらいからになり
ます。次回は化学療法(抗がん剤治療、分子標的薬、ホルモン)と食欲不振につい
て書きます。

 

食事をしたくてもできない。それが正常であるという認識。

これは私自身も本を読んでいないと理解できなかった部分でした。

食事が減ることに異様な恐怖を人間は感じるものです。

 

きちんと知識と情報を得ておくことが大切だという事を改めて感じた経験になりました。

読んだ本を紹介しておきます。

 

春に向けて

次は春の桜の季節に向けて、

両親と過ごせる1日1日を大事にしていきます。

 

父親のメールはほぼ毎日送られてくるので、すごい体力だと感心してしまいます。

共有できず溜まってしまっているものを記事にしていきますので、一つでも読んだくれるあなたのお役に立てることを願って今回はこの辺で終わりにします。

 

 

大変な状況下ではありますが、1日1日、生きていてよかったと思えるような毎日になる事を目指して

共に生きていきましょう。

 

入院中の記事は以下

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